第一話
描くことが商いになることを、
少女だてらに知ってしまった。
大籠 千春 | 宝島染工
2001年より天然染料100%を使用し伝統技術で染色をする工場・宝島染工を始める。「中量生産に重きをおいた天然染工場」として、藍染・墨染・草木染めなどの天然染料と、絞り・折り・板締めなどの模様を生み出す「防染」と呼ばれる技法を用いて、主にアパレルブランド向けに洋服、服飾雑貨の染色加工を行う。「染めのサンプル」の提案としてオリジナル商品の企画、染色、販売も行っている。
「もうこれでずっとがいいな。一生こうしてたいな」
早くも小学生の頃から、すでに自分の人生を見通してしまった。
「描く」ことが、とにかく好きだった。別に誰に見せたいとかそういうことではなく、ただただ鉛筆を動かしてる時がたのしい。ずっとそこに、自分だけの世界にいるのが、たのしくて、たのしくて、たまらない。
のっけは、教科書やノートのはしっこに描いた落書きだった。それがどんどんエスカレートし、すべてのページに絵を描き、パラパラ漫画をつくった。
やがて立体物もやりたくなって、手に入るダンボールで1/20スケールの(しかも扉付きの!)部屋をつくった。すると中に何かを入れたくなって、まずは椅子だな、次は棚か、じゃあ食器もか、それだともっと薄い紙じゃないとな……と、誰に頼まれるわけでもなく、際限なくそんなことをやっていた。
自営業の一家だったので、遊び相手はそこで働く職人さんや、出入りする業者のおじさんたち。紙をお皿の形に切り、上におかずを描いた紙をのせて平面の食品サンプルをつくり、よくひとりごはん屋さんごっこをした。
「ごはん何食べますか?」「肉じゃがください」「おなか空いてるやろ、肉多めにしとく」
そんなやりとりをしていると、時に「お上手や」と言われちょっとお金をもらえたり、ジュースをくれたりする人が現れた。
「いいやん、これ。わりかしいいやん。なんか侮れんこれ」
ふつふつとこみあげるうれしさとともに、これが商いになることを、少女だてらに知ってしまったのだ。
なもので、15歳になって中学を卒業する際、このままふつうの学生生活を送り続けることが耐えられそうにないと気づき、デザイン科のある高校に入学、そこでデッサンなど基礎的なことを学んだ。
さらなる転機が訪れたのが、18歳。決して4年制の大学に行きたいわけではない。できれば働きたい。ただ当時は、インターネットもパソコンもない時代。これまでやったことが生かせそうな仕事といえば、紙の誌面やPRの媒体をつくるグラフィックデザインだろうか。ただずっとデスクにつく仕事は、自分には合わないと感じていた。
「だったら糸かな?」
こうして、テキスタイルの世界へと足を踏み入れることになった。