第二話
自分が前に出なくったって、
委ねた方が、むしろ気持ちいい。
ずっと自分の世界。
自分が100%、いや1000%「これだ!」と思ってかたちにしたものが「絵を描く」という行為で、そこに気持ちよさを感じていたし、ずっとこれでいきたいと思っていた。
テキスタイルにしても、学生の頃は自分が描いて、グラフィック的に面白いと思ったものを、そのまま染めや織りに落とし込み、動くかたちにすることに夢中になった。いつか、すごくでかいのをやってみたいと思い、5mくらいの巨大作品に挑んだこともあった。
けれど。だんだんとその心が染め変わってきたのは、藍染を仕事として会社で働きだしてからだった。
天然染料は、基本思い通りにならない。薄かったり、ムラができたり。どんな時も100%理解できるということはなく「なんでこうなったんだろう?」と思うところが、いつもでてくる。
だけど、嫌じゃない。
もともと、色に対してはかなり敏感なところがあった。街で見かける洋服で「どういう気持ちになったらあの色を着れるんだろう」と思うことも、しばしばあった。
にもかかわらず天然染料は、どう転んだってきれいだと思える。ムラができても、乱れがあっても、これはこれで素晴らしいと思える。
その体験は、自身の表現欲求が引かれていくことにつながった。
別に自分が前に出なくったって、技術やエッセンスを入れなくたって、十分に語れる。逆にものに委ねた方がうるさくない、むしろ気持ちいい。
ものが前に来だすと、作家性みたいなところはどんどん、2とか3とか4の次になっていく。
またそれがかたちを変え、立体になって、人が着て動いていくことにも面白さを感じる。
そうして、自分は自分というものをみるみる手放していった。