第三話
同じものをたくさんつくる。
この技が、自分のめざすところとなった。
「紙に描く」から「糸を染める」へ、心のありようが移り変わっていったのは、生まれも育ちも福岡で、久留米絣の産地であったからかもしれなかった。
まわりの人たちは、みんな絣を着ていた。スーパーに行ってもだいたいいるし、ふだんだけでなく、ハレの日の集まりごとにも、必ず絣を身に纏う人がいた。
絣は、2本を撚り合わせて1本にした糸で織られているため、風合いがすこぶるよく、なにしろすぐ乾く。夏におあつらえのため、とりわけ目にする機会は増えた。
自分もまた、幼い頃から絣を身につけていた。好きだった。いや、好きも嫌いもその実なく、とにかく身近で当たり前の存在としてそこにあった。
しかしそんな久留米絣も、いまや存続が危ぶまれている。
職人の高齢化、後継者の不足……あまたの伝統工芸が立たされている窮地に、ご多分に漏れず直面していた。
それをはたで見ながら、忸怩とした思いで感じていたのは「もったいなか」だった。
そもそも絣を好きな人は、まわりにもたくさんいる。またしっかりとしたストーリーがあり、ものとしての質も高い。コンテンツはこんなにも揃っているのに、いまやなかなかの貴重なものになり、おいそれと買えない。それはなぜなら供給する側が痩せていって、追いついてないから。要するにビジネスが育っていない、結局はマネジメントの問題なのではないかと感じていた。
そんな理由もあり、自分もまた作家として個人で活動するのは、ちょっと違うなと感じていた。
染めの場合も、極端な話をすると1枚なら誰でもできる。技術がなくても、理屈を知らなくても、なんならアルバイトだってできてしまう。だけどこれが100枚、1000枚となると、技術の層が変わる。決して誰もができることではない。
同じものをたくさん作って、同じクオリティを常に保つ。この技が、自分のめざすところとなった。
いつかは絣づくりもやってみたい、けれど他とは違うものをつくれないと、自分がやる意味がない。いまある絣屋さん以上に、うまくできるところがまだ見出せない。ならば、彼らにお願いしたほうがよっぽどいい。
と、ものづくりを商いとして見るのはやめられないのだった。
PROFILE
大籠 千春 | 宝島染工
2001年より天然染料100%を使用し伝統技術で染色をする工場・宝島染工を始める。「中量生産に重きをおいた天然染工場」として、藍染・墨染・草木染めなどの天然染料と、絞り・折り・板締めなどの模様を生み出す「防染」と呼ばれる技法を用いて、主にアパレルブランド向けに洋服、服飾雑貨の染色加工を行う。「染めのサンプル」の提案としてオリジナル商品の企画、染色、販売も行っている。