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第二話
実は「ものをつくる」という行為の、
意外と核の部分というか。
あの頃僕は謎のプラスチック製品を、なんとなくずっと好きで集めていた。
2020年に「鋤田収集事務所」を始める前のことだ。
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当時はお店で雑貨の販売をやっていたこともあって、民芸品や手仕事もの、郷土玩具とか器系なんかに興味があった。個人的に集めてもいた。
ある日古い時計屋さんで、プラスチックでできた三角形の什器が見つかった。それは80〜90年代につくられたやつで、上にデジタル時計を乗せるものだけどアナログで、しかも謎のキャラ性を持たせようとしている。今じゃ考えられないような配色の妙も気になって、好きになった。
あとは不思議な文房具だったり、マグカップだったり。
この時代のプロダクトは、どれも謎の余裕があった。つくりはチープだけど、実はそんなにチープじゃないというか、大量生産して回収するシステムなので、全体のコストとしては明らかにかかっている。なのに「やっちゃったなー」というデザインのものが多く、それは大企業であっても同じだった。
「ひとりの変わった人が変なものをつくる」ではなく「ひとつの大きな流れとして、変なものをつくる」というダイナミックさ。ただ当時はもちろん変だと思わず、売れると思ってるからつくるわけで、それをやっちゃえる謎の気運にもあてられた。
同時にそれって、すごく人間的なんじゃないかと思った。実は「ものをつくる」という行為の、意外と核の部分というか。
いらないっちゃ、いらない。だけどこうしたものをつくることは、これからもきっとなくならない。それがより顕著だったのが、80〜90年代というだけで。
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