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第一話

自分が感じた「直感」のほうが
とても大切で、きっと正しい。

大西 泰宏 | 株式会社ウーフ 代表取締役

紅茶専門店勤務後 中国へ留学。帰国後 2002年兵庫県芦屋市にてウーフ創業。現在に至る。自身が納得したお茶だけを直輸入。またオリジナルティーは天然精油、ハーブ、スパイスなど全て天然素材のみを使用、身体に馴染むようなブレンドを心がけている。

見たものを信じる。人から言われたことよりも、自身が感じた「直感」の方がとても大切で、きっと正しい。私はそう思っている。

紅茶の世界で仕事をしたい。そう決めたのは高校生の頃だった。トワイニングのティーバッグ詰め合わせを見た瞬間、なぜか紅茶の世界にいる自分をイメージしていた。

なぜそこまで惹かれたのか、当時他に何が好きだったかは、あまり覚えていない。今思えば紅茶の歴史も背景も知らず、ただただ「かっこいいな」という漠然としたものだったけれど、思いはずっと貫かれ、やがて自分で「Uf-fu(ウーフ)」という紅茶専門店をはじめることになった。

ただ学校を卒業してからは、一旦会社員になった。一部上場企業だったので、給料も良かった。だけどずっといるつもりはなく、3年は頑張ってみようと決め、その通りにした。

それからは、とある紅茶専門店で働いた。理由は、ここに世界中の何百種類ものお茶が取り扱われていたから。たくさんのお茶と出会い、学ばせていただいた後、中国へ行った。

きっかけは、東京の中目黒にある中国名茶の喫茶店「岩茶房」。ここで初めて中国茶の存在を知り「こんなおいしいお茶があるんだ!」と衝撃を受けた。

またその時に読んでいた本も、後押しとなった。沢木耕太郎さんの「深夜特急」、そして守屋毅さんの「お茶のきた道」というノンフィクション。ここで書かれているフィールドワークがあまりに素晴らしく、お茶産地への憧れを抱いた。

そのためには、まずは語学だ、中国語を喋れないとダメだと思った私は、なけなしの100万円を持って、語学留学をするため北京に向かった。

ある程度中国語ができるようになると、休みのたびにお茶の市場をめぐるようになった。前もってあたりをつけておいたところを訪れ、気に入ったお茶を買う。それは楽しい日々だった。

ところが留学中に突然父が亡くなり、帰国せざるを得なくなった。目的を失い半年ほど引きこもっていると、母親が見かねて「また中国に行ってきたら?」と。この機を逃すともう一生留学ができないかもしれないと決意し、今度は上海へ。上海は北京より茶産地に近く、また食事も日本食に近い風味、また私の顔立ちも上海の人たちと近く、とても住みやすい街で、もうこのまま一生住みたいと思ったほどだった。

北京と上海、中国に滞在していたのは延べ1年もなかったけれど、そこで大きな刺激を受け、自分でお店を始めるきっかけとなった。