LOVE SOME STORY

第二話

前もって想像出来てしまう瞬間に、
その物語は終わりを迎える事になる。

陳列する時は、偶然生まれる妙な調和というか不協和音というか、計画性も無く集まって来たモノたちを並べてみた時の、アンバランスなバランスがいい。

料理に例えてみれば、フレンチトーストにちょっとだけ醬油を掛けてみたら案外美味しい、と感じたりするのと同じで、極私的な偶然の美みたいなのを見つけて、勝手に遊んでいるだけで、法則性とか、そういったものはなさそうだ。

しばらくの間、同じストーリーのモノが気になる事もあるけれど、そのストーリーを見続けるなかで新しく見つけたモノが、前もって想像出来てしまう瞬間に、自分の中でその物語は終わりを迎える事になる。

ディスプレイと言っても、目の前にあるモノを勝手に並べて、組み合わせて遊んでいるだけ。モノが1000個くらいあると組み合わせも限りなくあり、それを全部やっていたら人生が終わってしまうので、パッと目についた半径3メートル位にあるモノだけで実験してみる。がんばってやっているわけでは無くて、パパッといじって、はい終わりって感じ。

そもそもあんまり自分で何かを表現しているという感覚がない。人間は自分が選んだとか、つくったとかと思いたいところがあるけれど、それはエゴというか我であって、多分自分のDNAとか過去から蓄積した原子とか分子とかが、コレにしとけ、という指示を出す。天の声みたいなモノだと思っている。

全てのモノはたいてい意思を持たない。モノに出会う出会わないは偶然だし、自分自身の心も、その瞬間瞬間にどんどん変わっていく。だから狙って何かを考えたところで思ったようにはならない。自然の流れに任せるのが楽ちん。